撮影に備えて、小道具を製作。いつもの事ながら工作は予想以上に時間がかかってしまう。
しかし、自分が生み出す作品のためには、こだわりを持ちたいものだ。

撮影:宇佐見紀子
撮影に備えて、小道具を製作。いつもの事ながら工作は予想以上に時間がかかってしまう。
しかし、自分が生み出す作品のためには、こだわりを持ちたいものだ。

撮影:宇佐見紀子
昨夜は当社スタジオにてモデルオーディションを実施。
毎回の事ながら、総体的に外国人モデルのオーディションの場合は着飾ったりメイクをせず、普段着でノーメイク、フラットなシューズでやってくるので、気持ちがいい。お互いに疲れない。カメラテストもするが、全く動かないのと、誇張したポーズにはシャッターを押せない。シャッター毎にごく微妙に動けるかはキャリアではなく、その人の深さなのだろう。

この写真は何の意味もありません。無線LANで画像がパソコンに飛ぶかをテストする際に何かスタジオ内にある「物」を探します。
その後、記憶の新しいうちに関係者と打合せを済ませ、毎度の如く、社外食堂(近所のレストラン)へ繰り出す。



先日、CarolinaとEnriqueというタンゴダンサーの撮影を私のスタジオで行なった。
Carolinaは過去、何度もスタジオや公演等の撮影を行なっているが、いつもアイデアを持ってスタジオにやってくる。こちらもクリエイティビティを持って対応しなければ、彼女のイメージとする写真が上がらない。
日本人のタンゴダンサーはきちっとした全方位のライティングできちっとした写真を好むが、アルゼンチン人のダンサーは陰影のあるライティングでダークトーンな写真を好む傾向がある。思うに、日本のダンスは鏡張りのいわゆるダンススタジオで蛍光灯の下で踊るが、ブエノスアイレスのタンゴはバーの灯火の下で踊るからだろうか。
彼女は普段は明るく前向きで素敵な性格だが、ひとたび撮影になるとアルゼンチンタンゴの淫靡な世界に入り込む。スタジオがブエノスアイレスの空気に変わる。



CarolinaさんのHP
ここのところ、過去の作品を整理する機会が続いた。
その場合、単にセレクトのみをしてプリントするのではなく、現像からやり直す。時代に応じて、それがたとえ1、2年であったとしても流行の写真の色は異なる。それ以上に自分の好みの色も変化していく。光の色、コントラスト、シャープネス等が変わると、同じ構図のデーターであろうと、作品の雰囲気が全くことなり、生まれ変わる。
写真や絵の作品の色合いはいつの時代であろうが変えてはならないという考えの方もいるだろう。私はそうは思わない。シンガーソングライターが年代、年齢の変化に応じて、違ったアレンジや歌い方になるのと同じこと。自分の作品なのだから。
ずっと、画像処理が続くと、水、緑、青空を体が欲する。外出した帰りに寄り道をしてみた。







ビジネスの打合せを兼ねて友人宅に伺うと、サプライズパーティーを準備していただいていた。まずはドアを開くとペットのお迎えがあり、その後、長時間の濃厚な接吻のサービスまであった。ペットに対してもサプライズの主旨を説明していたのか。近年にない珍しいイベントだった。


友人のイラストレーターがギャラリーにやってきた。久しぶりである。「イラストレーター」という語は彼には当てはまらない。また、本当は使いたくない。それは「カメラマン」(カメラオペレーター)という語と同類。
彼の描くイラストにはストーリーがあり、各々の登場人物(動植物含む)には各々のキャラクター、バックグラウンドがあり、各々の関係(間柄)にも背景がある。よって、ストーリーの軸がぶれない。
写真の場合と同様に、かっこいい、カワイイ、美しいだけのイラストは一過性のものであり、長続きして人のコラソンに響かない。大事なのは、世界観、ストーリーであり、それは作家自身の生き様や人間観そのものを反映するのだろう。
うんちくを語らずとも、彼の絵は、直感的にカワイイ。
(このサイトでもっと彼の作品に触れることができる。http://www.hadowin.com)
